ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー

残念ながら日本での発売予定はありません(>_<)

たくさんの樽の中で白衣を着ているのはフランチェスコです。ドイツでの展示会の翌日にはイタリアの展示会に立っていたりと超多忙なフランチェスコが「イタリア語は読めないでしょ?」ということで英語に翻訳して送ってくれたのです。 Grazie, Francesco!!


私たちはナショナルジオグラフィックトラベラーでバルサミコ酢について語る

2019年11月21日

現在ニューススタンドに並んでいるナショナルジオグラフィックトラベラー秋号での話題はモデナの伝統的バルサミコ酢である

「芳醇な黒い輝き」

モデナとその周辺、なだらかな坂が葡萄畑を撫でる中、味付け用の調味料は、忍耐、献身、熱い気持ちの集大成でありそれが何世代も続いていく。

ギルランディーナの塔(モデナ市内にあるモデナ大聖堂の隣に建つ塔で世界遺産に登録されている)は学校で最初に出会う鉛筆のようであり、申し分なく調えられたその先端は天高く空を突き抜け、空はそれをピンク色に染めている。

そのモデナは私たちを受け入れてくれ、モデナ郊外、エミリア地区の自然の中で育った子供のころの記憶を思い出すとき、風が吹き抜け、おばあちゃんが人差し指を口にあて、私をそっと誘う。「赤い車に耳を傾けて」と私に言った。マラネロのサーキットから聞こえるフェラーリの音だ。数キロ離れたところから、まるで木々の葉がサラサラと音を立てて聞こえるように、風がエンジンの唸る音を運んでくる。そしてキッチンの食糧庫には一本のお酢が欠かせない。ある農夫ジェッピーノは川岸に犬と一緒に暮らしていた。彼は小さな樽を持っていた。その樽から黒い輝きを持つものを取り出し私の鼻や口を味わいのある芳香でいっぱいにさせた。それは複製させることのできないものであった。

スピードの速い車とゆっくり熟成される食物のある土地、と人々は言う、この二つは記憶の中に十分に残っておりそれを思い出すたびにますます活き活きとしてくる。さらに、エンツォ・フェラーリは大好きなレストランであってもバルサミコ酢がなければ席につかなかったと言われている。

モデナ地方のお酢製造者による製品には、誇り高き「トラディショナル(伝統的な)」という言葉を持つ世界で唯一ものがある。2000年からDOP認定により保護されているものである。

DOPを取得するには、お酢醸造所、葡萄畑、葡萄とぶどうジュースをモデナのバルサミコ酢協会により認証される必要がある。その協会はバルサミコ酢の推進と普及を担っている。

【訳者注】DOPについては、平成31年2月1日農林水産省 食料産業局 知的財産課より、地理的表示(GI)保護制度に基づく指定産品(指定番号第30号)として指定の公示がなされました

モデナ産伝統的バルサミコ酢は少なくとも12年の熟成を経たものと「エキストラベッキオ」と冠がつく25年以上の熟成のものとある。これらは工業デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロによりデザインされた特別なボトルに瓶詰めされる。その他の製品は、味付けをする用と、またはもっとも一般的なIGPバルサミコ酢がある。

一方で、エミリアロマーニャの食に関することですばらしいところはかなり重要な事柄なのだが、モデナで娘が生まれたとき、家族は習慣的に樽を作る。25年経ったの少女とバルサミコ酢は完全なる熟成がなされるということになる。この習慣はまだ今でも残っている。

バルサミコ酢は血縁で繋がっている。子供のころそれを知った。何年か後に、細い糸のように代々繋がっている調味料が今でも存在することを知って驚いている

アチェタイアセレニのフランチェスコは私に教えてくれた。彼は農場に私を連れていってくれた。そこは町から離れた丘の上にある平和の住処である。車の往来は遠く記憶の中、坂が葡萄畑をやさしく撫でる。樽の歴史は20世紀初頭に遡る、彼の曽祖母サンティナは毎日毎日家族の食事を準備する主婦だった。彼女はバルサミコ酢を作り始めたのだ。1990年代の終わりにフランチェスコの父、ピエール・ルイージは古い農場を購入し、アチェタイアに作り替えたのだ。フランチェスコは子供のころバルサミコ酢を小さなボトルに入れて学校に持って行っていた、ランチにそれを使うためだ。お酢はいつも彼のそばにあった。だから今の仕事につくのは自然なことだと彼は話してくれた。私は彼の話を聞きながら微笑んだ。

サンティナの時代から樽はどんどん増えていった。今では1800程になる。それを見ていると全てがここにあることが考えられないことだと思う。夕日が多くの樽を照らすと、それらの連続した丸みは荒れた海の波のようだ。

アチェタイア(お酢醸造所)の香りを表現することは難しい、なぜならそれぞれがひとつひとつ唯一なものであり複製することができない、またそれぞれが異なる動きと印象を与えてくれているから。